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― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #51 ― |
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業界と言うのは、例え美術業界といえども決して美しいものを売買しているだけの世界ではなく、他のビジネスの世界と同じで、まさに人間の業と業のぶつかり合いである。どんなに皆が上手く行くように組合等を作っても、上手く行かない時は、努力しても100万で買ったものを80万で売るしかない場合もあり、反対にほとんど努力もしないのに80万が100万になることもある。世界が右肩上がりだった頃は、半年努力しても上手く行かない時はもう半年我慢していればなんとかなったのだが、今はそうは行かない。そんな時代がもう10年以上も続いたので 慣れてしまってもう儲けようとすることよりも、自分のしている仕事の意味を考えるようになった。そうする事によって幸運にも自分の一生続けようと思っていた哲学というか人間学というか、宇宙を理解したいという大望と接点を持つようになった。 |
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私は今でも自分が一番大切で自分の事をエゴイストだと思っている。意識という面から考えても、とにかく自分が何を考え、何を感じているかは解かるが、自分以外の人間とか他の生物がどう感じているのかは本当には解るはずが無いと思っているし、また例え少し解ったとしても、その人またはその生き物のために大したことは出来ないと思っている。それ故自分が宇宙の中心であることはしかたがないと思っている。ライオンが鹿を殺して食べるのも、鹿が草を食べるのも同じであって、鹿のために、または草のために自分が死ぬなんて考えられないし、そういう事のなかから美とか愛とかが生まれるような気がする。ライオンも鹿も必要以上には殺さない、食べ物を蓄えておく事の出来ない彼らはもしかしたら1月後には餓死しているかも知れない生き方しか出来ず昔の江戸っ子みたいだ。 |
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反対に私達は今何でも将来のために蓄える事が出来るというか、ほとんどそれしかしていない。今日の食べ物、着るもの、眠る所はもちろん有り、日本人だったら1月ぐらい何もしなくても生き延びる事が出来そうだ。それでも明日のことが心配で毎日売上の計算をしている。何故こんなになってしまったのだろう。もしかしたら我々の脳があまりにも未来に起こることに興味を持つようになってしまい、今日の事よりも明日の起こるかも知れない事に準備するようになってしまったのかもしれない。人間になって以来、その生きるための原動力が好奇心に由来するのではないかと思うくらい、私達はそれ無しでは生きる意味も無いくらいそれは、特に男にとって、もしかしたら女にとっても、大切なものとなっていた。 |