|
|
|
― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #52 ― |
|
さてこの好奇心の強いエゴイストである私が他の人間と一緒に上手く生きて行くために私はどうしたのだろう。確かに私の立っている場所ははっきりしたが、そのままエゴイストのそして好奇心で固まっている私を正直に推し進めたら、きっと他人に迷惑をかけたあげく孤立してしまうだろう。自分の思っている事を推し進めながら、かつ私と同じような生物と殺し合わず共生して行くにはどうするのが良いのだろう。遺伝子の共通性からいっても、確かにまたは多分私の意識は私だけのものだと思うが、それでさえも我々人間の遺伝子は99パーセント同じだと云う事は、私だけが意識を持っているということではなく、かつその独自性のある意識ですら他人と1パーセントぐらいしか違っていないかもしれないってことは、我々人間も蟻のように、巣がひとつの単位であって個々の蟻はそれを構成している細胞のようなものと見えるように 本当の完全に独立している個なんてないのかも知れない。 |
|
|
|
それはそれとして、いま私は私の個性を尊重しそれを頼りに生きようとしているのだから、1細胞としての考え方は無視しようと思う。どうしたら他人と上手く生きられるのだろう。ラスコーフニコフのようになってはいけない、あいつは良い奴だけどやはりちょっと単純だ、正直過ぎるというか自分のもっている生物としてのエゴを大切にしていない。されど、自分が一番大切だ、と云う事を正面に押し立ててなおかつほかの人間とも上手くやって行く方法なんてあるのだろうか。 |
|
|
|
さて自分をもう少し外から見たらなにか良い方法があるかも知れない。私はたまたまかもしれないが30歳まで学校と言う所と常に関りを持っていた。その為に払った費用はほとんどが公立だったり、寺の関係で優遇されたりして他人よりも随分と少ないような気がする。それに日本ではともかく他人の国であるアメリカでもそんなふうだった。それに学校だけでなくアメリカではほとんど他人であった叔母とかピーターソン夫妻とか、日本語学校の人達、バイブルスクールでの宣教師達、それにお互い様かもしれないが一緒に生きていた友人達、に親切にされた。エゴイストの達人である私でもそれは忘れる事が出来ず、なんとかそのような好意に報わないとどうも落ち着かない。しかしすでに故人になっている人も多く、またはまだ元気でやっている人に、あの時はありがとう等と言っても変なもので、私としては彼らが他人である私にしてくれたように、わたしも他人に何らかの形で少しだけでも親切にする以外心を落ち着かせる方法が無いような気がする。 |
|
|
|
|