― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #53 ―

 

 話はまた大きく変わるが、私は今60年安保の時の事、まだ大学の2年で20歳だった私のことを思い出している。私の中にはあの時の、妙にスクラムを組みながらも冷静に、しかも困っていた自分が思い出される。成人となり参政権が与えられると、好きとか嫌いとかの問題ではなく、何を取るかという事を強いられてくる。安保などの問題は少し前までは自分との関りは無く、関心も無かった。しかし大学の自冶会などに出席しているうちに、いま問題になっている事に対して賛成か反対かの自分の判断を表明しなければならなくなり、それが成人の義務だと思うようになったが、その判断は本当に難しかった。武蔵の生きかたを好きな私にとっては当然自分の身は自分で守るべきだし、それを少し広げて自分の国は自分達で守るのが当然であった。しかし当時の若者、特に政治に関心のある多くの学生達は安保に反対だと言い、それが美しい事だと思っていたようだった。それはもしかしたら若い自分達の存在をアピールしているだけの事だったかも知れないが、私は本気で考えた。しかしどんなに考えても敗戦国である日本が自分の国を自分の力だけで守る事は出来そうになかった。もし日本が外国から武力で侵略されようとした時どうするか。力の無い自分を守るためにはどうすれば良いのか、個人だったら逃げる事も出来るだろうが、国は逃げられない。それならば日本を利用出来る国と思っているアメリカと組んで、格好悪くとも守るしかない、安保賛成しかないと思った。水産大学の多くの学生は結構地味で、格好つけようとする人達が少なく、周りの大学の自冶会から反対運動に参加を呼びかけられたが、結局自冶会としては安保反対と云う事にはならなかった。   

 

 そのとき何処からともなく優秀な?学生が、ちょうどその頃やはり問題となっていた原水爆実験反対の声を安保反対の声と結び付けようとした。安保反対運動のリーダー達はそれに参加する人数が欲しかったのだろう。彼らはまさに学生というよりも政治家でありアジテイターだった。彼らは質よりも量を欲した、確かに量無くしては何も生まれそうも無かったから。
 我々水産大学の先輩達はまぐろ船に乗って南洋の方に行っていたので汚染されたまぐろは大きな問題であり原水爆実験反対は当然だった。

 

 何か大きな事をしたくてしょうがない若い我々は苦も無くその誘いにのった。その頃の私、たぶん他の私の仲間達も同じ思いだったかも知れない。それは思いは行動として表現しなくてはならないと。それに私達がもう子供ではなくそれなりの独自の考え方を持った成人だと云う事を表現するためには、強いもの、例えば政府の方針などに、"その事には私は賛成できない"と云う事をはっきり云ってかつ行動しなければならない、と思っていた。敗戦後の日本ではその頃なぜあの無謀なアメリカとの戦争に突入したかの反省とか理由とかがいろいろ言われていた。その中でも我々若者達に強く印象付けたのは、俗にいう知識階級の人達の反省だった。彼らは心の中では反対だったが、それをはっきりと表現しなかったし、ましてや行動しなかった。自分の身を守る為にそうしたのだが、結果として彼らはしたくもない戦争に参加し、やりたくもない人殺しもしてしまった、それに時には自分も死ななければならなかった。勿論なかには誇りのために喜んで戦争に参加した人達も沢山いたかもしれないがそれは別に非難するようなことでは無いと思う。大切なことは自分の身を大切にするあまり大局を見ず、そのすべき時を失い、結果として流されてしまって後で反省すると云う事にはならないようにする事だった。 

 

 

 

 

 

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