― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #54 ―

 

 その日何十人もの有志達とデモ行進に参加したが、すぐに我々はばらばらにされた。ピクニックに行くような気分で参加した私はあっという間に知らない人達と行進しているのだった。原水爆実験反対のデモに参加したはずの私もその圧倒的な人の数と熱気の中では個人の意見などゼロに近い事を感じ、むしろ皆と同じ事をしていないと危険な感じがした。さすがに安保反対との大合唱には付いていけなかったが、その輪から抜け出そうとも思わず、何か自分の思っていた事とはちがうなと思いながらも皆と一緒にいた、というかスクラムを組まされて自分一人の行動は許されなかった。スピーカーから指示がきた、今前方から右翼が角材を持って迫って来ているので、柔道部や空手部の人達は前にでてください、と。エッ!とびびった、ピクニック気分は完全に消えた。それでも何も起こらぬまま緊張の中で時が過ぎていった。とまたスピーカーが伝えた、デモ中の女子学生が倒れたと。

 

 たまたま私のいた所では機動隊、右翼ではなく本当は機動隊のことを言ったのだと後で思ったがその時は本当に右翼だと思った、と遣り合うことはなく、その日は何も無く私は無事、これは何だったのだろう、と思いながら家に帰った。次の日の新聞で樺美智子さんが亡くなった事を知り、ああ、あの時の女子学生が彼女だったのかと思った。危機はすぐ近くまで来ていたのだったが、それは、それに会うまでは解らない事だった。 
 自分の思いとは関係無く、うっかり政治的なものに参加したら、政治的に自信を持っている人達に動かされてしまう。私はそういうものから離れ、再び独りぼっちの武蔵の世界、自己完成への世界にさらに突き進んで行った。

 

 そうは云っても、その若いみそらで修行僧のような事が出来るはずがなく、ほとんど男子ばかりの、水産大学、その頃は、999人の男子学生と2人の女子学生だった、の有志達が近くの女子大との合同パーテイを時々やっていたのでそれに参加したものだった。
行くのはダンスパーテイだった。無論大学でのダンス講習会に出席して一応のダンスのし方を習っていくのだが、それもほとんど男同志での練習だ、熱が入るわけ無い、さらに毎日柔道の練習をしているので足の出し方などがまったく違って大変だった。私の柔道では右手と右足が同時に出るのであまり優雅な感じではなかった。やっとパーテイまで辿りついても、ダンスしている時、無意識に相手のベルトを握ったりして気味悪がられたりした。 

 

 

 

 

 

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