― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #55 ―

 

 その時代私は天国に行ってもしかたがない、神に祝福されてもしょうがない、とひたすら戦いを、そして強くなることを願っていた。それゆえ私の失恋も自分で望んだ事であり一つの大切な経験として、勉強の一部として理解しようとしていた。神に求めるものがあるとすれば、何処からのフレーズか知らないが"神よ我に七難八苦を与えたまえ"という、恵まれた環境の中で育った若者の傲慢さ故のものしかなかった。

 

 それでもよく会って色々なことを話していた人がある日を境に突然目の前から消えると、覚悟していたとは云え日々のペースが狂ってしまい元に戻るのが大変だった、第一本当の意味では元に戻らなかった。 その大学3年の春、私は急に鹿児島まで自転車で行ってみようと思い、何とか新しい自転車を手に入れ出発した。知人の家や、寺、公民館、時には安宿に泊まりながら小田原の自宅から東海道を下り、琵琶湖から山陰に出て、山口市、下関、関門トンネルを走り、20日間かけて、1日約8−9時間自転車の上にいた、そして無事鹿児島に着いた。柔道部の合宿にも出ずに田舎のでこぼこ道を走った。風というものが無視出来ないことを悟ったし、手首が痛くなる事も解った。すっかり疲れて帰りは電車で帰って来た。疲れた分だけ落ち着いてもう一度日本を出る準備に取りかかった。 

 

 私が今40年も前の事を書いているのは、自分の辿ってきた道を思い出し確認している事と、その時はそれしか出来ないと云う事、40年後の今もそれしか出来ない事を私はしつつあると、諦めにも似た思いで自分を肯定しながら、明日のために8時間寝て、またあすもせめてびしっとやるか、と。そしてパラドックスの前半のヒストリーオブ ギャラリーかわまつは、とりあえずこれで終り。後半のパラドックスは私の生きている限りの課題であり宿題でもある、本当の私の意味するパラドックスに挑戦してみたい。勿論その主題は、自由意志の納得のいく説明、つまり科学的な説明は可能なのかということだろう。それに付随して意識とは何かということも。 

 

 

 

 

 

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