― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #56 ―

 

 突風は突然起こるのではなく、本当に観測していたならばなぜ突風がその時起こったのかわかるはず。それらは決してでたらめに突然起こるのではなく、必ず起こるべく起こっているのだから。故に枯葉の落ちる場所は予測出来る筈なのだ。それでも私は予測は出来ないのではないかと思う。それは観測に時間がかかるからだと思う。そこで起こったことを見て、大脳で判断した時には、突風はさらに先に行って次の変化、出来事が始まっている。そこに意志がなく自然の法則のままに動いていたとしても、それを前以て知る事は出来ない。その時間の分だけ実際に起こった事から遅れてしまい、結局予測ではなく起こった後での説明になってしまうと云う事だと思う。

 

 もし意志の力で何かが出来たら、それはゼロからエネルギーが発せられる事に為り、自然の法則から独立することに成るのだから、確かに自由であるが、それは自然から見たらでたらめであり、突然変異とも云える。
 意志をでたらめなどと云ったら、意志の意味が無くなる、意志とはいろいろ考えて最期に選択した考え方なのだから、でたらめではない。選択するにはそのための遺伝子から創られた、そして経験から学習したマニュアルが出来ている、そのマニュアルに沿ってその最終目標である生命を維持するという目標のための選択をする。故にそれは遡ることが出来、因果関係の中で理解できる。
 このような事を考えることは意味があまり無いから止めたほうが良いと思うのだが、いつまでたっても其の事が頭から消えない。  

 

 私がパラドックスの中で解明したい事はそのことが私にとってプラスになるとか人類にとってもそうだからと云う事ではなく実際の宇宙はどう動いているのかが知りたいだけで、もしそれが理解出来ても私の、在って欲しいと願っている、小さな意志が宇宙の動きをほんの少しでも変えれるかも知れないなどとは思っていない。故にまさにそれは無償の努力と言うか、無駄な行為と言うか、私の趣味に過ぎないのだろう。
 今の科学では全てはビックバンから始まるとしている。謙虚な科学者たちは手を付けれる所から少しづつ研究しようとしている。商売とテニスに多くの時間を費やし、その謙虚で優秀な人達の何十年の研究の結果による本を一冊読んで、ならビッグバンの前はどうだったのなんてのたまっている私がいかに意識とはどのような現象なの、とか時間とは何なのとかいっても、趣味の域を脱し切れないだろう。それでも私は思う、何とか宇宙を理解したいとの思いが、私は宇宙の一部だと思えるし、意識なんてものも私の頭のなかにある宇宙の一部かもと。 

 

 

 

 

 

過去

現在

未来