― ザ・ヒストリー・オブ・ギャラリーかわまつ #60 ―

 

 さて話をまた意識という定義さえもままならぬものから離れて今一度わたし自身の経験のなかに戻りそこからまた出発できそうな地盤を見つけよう。 
 偏見ということ。私がオートバイを壊されて以来黒人に対して良い感情を持っていなかったこと、それに反抗するのはいつものことだが、全人類に対する愛を表現する黒人のリーダーを見たことが無く、I have a dream の マルチンルターキング牧師に対してさえも、よく戦っている人だなあ、とは思って感心はしていたが尊敬するまでにはいたらなかった。もし1994年にネルソン・マンデラが南アフリカ共和国の総選挙で勝ち、大統領就任式典での演説を知らなかったら、私は黒人に対する偏見をずっと持ったままだっただろう。1960年代のアメリカでの学生時代、私はマンデラの名前をパンアフリカニストなどの言葉と一緒に記憶の中にあり、そのマンデラが27年もの獄中生活をへて復活し、さらにその演説のなかで白人に対する憎しみを一切感じさせない言葉と、特に表情を見て、私は自分の偏見を悟った。マンデラが生きていたことさえ奇蹟に近いのに、ましてや南アの初代黒人大統領となって白人に対する憎しみも見せず、新しい国を造ろうとする姿には感動せずにはいられなかった。
 
  私は思う、マンデラが生まれつき特別立派な人という事ではなく、彼の、彼の生きていた中で生まれた、云わなければならない事をずっと云っていたことが彼を彼たらしめたのだろうと。 もしかしたら彼の獄中生活が彼を創ったのかも知れないと。 27年間の獄中生活の中でも自分の思いをずっと持続けると云う事、そこにはそれが出来るだけの彼の子供時代、青年時代のためが在った事だと思う。
  今は引退した彼に私は心から お疲れ様でしたゆっくりお休み下さい、と言いたい。そして思う、私もそんなふうに成りたいと。

 

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